Jan 29, 2011
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福島第1原発で汚染水の貯蔵に使われるメガフロート(大型浮体式海洋構造物)が5日午後、静岡市の清水港を出発した。東京電力が横浜市の造船所までえい航して改造する。福島到着は16日以降の見通しで、内部に1万トン程度の水を入れても沈まないという。
メガフロートは鋼鉄製で長さ136メートル、幅46メートル。清水港で海釣り公園として使われていたが、静岡市が東電に提供した。市は国や東電と補償について協議するという。
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宮城県塩釜市魚市場(同市新浜町1)で4日朝、東日本大震災後初の競りが行われた。陸送分だけの少量の取引だったが、水産都市のシンボルで久々に威勢のいい競りの声が響いた。
同市場は、県北や三陸の漁港に比べ被害が比較的軽かったが、岸壁や水揚げ場施設の一部が損壊した。関係者らが、補修や清掃を進め、電気・水道の復旧とともに再開にこぎつけた。
この日の競りは、千葉県銚子市などから陸送されたメバチ中心の生マグロ35本と、北海道や四国産の魚介類約300キロで、生マグロの水揚げ日本一を誇る同市場の震災前の光景には程遠い量だった。競りも約5分で終了したが、80キロ前後の大物マグロにはキロ当たり3000円以上の高値も付き、活気づいた。
駆けつけた佐藤昭市長は「市場の再開は県内の水産業全体への大きな励みになる。被害の大きい石巻、気仙沼との連携や支援にも全力で取り組みたい」と話した。同市場には今月中旬、震災後第1船の水揚げがある予定。【渡辺豊】
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愛知県が昨年11月、同県一宮市の公共施設を、暴力団に忘年会会場として貸し出していたことが、県警などへの取材でわかった。
同10月には、今月から施行された県暴力団排除条例(暴排条例)が議会で成立しており、県警は使用させないよう要請したが、県側は聞き入れなかったという。識者は「社会全体で排除しようとしている暴力団を、行政が容認するものだ」と強く非難している。
この施設は、県が財団法人県労働協会(名古屋市中村区)に運営を委託している尾西勤労青少年福祉センター(尾西グリーンプラザ)。県などによると、2009年冬に「企業の忘年会」との名目で、多目的ホールの予約申し込みがあった。同センターには、予約日の直前、「暴力団による忘年会だ」と匿名の電話があり、さらに同様の情報を得た県警の捜査員が、企業名の書かれた申込用紙などから暴力団と確認し、予約を断るよう求めたという。
同協会は、所管する県労働福祉課に相談したが、同課は「予約日まで間がなく、混乱を防ぐため、今回は断れなくても仕方がない」と判断。忘年会は予定通り開催され、二百数十人が参加したという。
東日本大震災で大津波に襲われた東北の太平洋沿岸は、明治と昭和の三陸地震、チリ地震と、繰り返し津波の被害に遭っている。防災ビデオ「津波襲来 その一瞬が生死を分ける」(東映)の制作に携わり、2007年に三陸沿岸を歩いた映像ディレクターのタカギ・タイキチロウさんに聞いた。【岡礼子】
3月11日、東京にいたタカギさんは地震の後、「津波が来る。そう思って緊張してハラハラしていた」。これまでも、大津波警報が出ると、サーフィン好きの知人に「今日は行くなよ」と伝え、「警報が出ても津波って来ないよね」と言われると「今度は来るよ」と返したりしていた。津波は「普通の波が大きくなったものではなく、高さ数メートルの巨大な水の塊が押し寄せてくるイメージ。名前を変えた方がいいと思うくらいだ」と力説する。
タカギさんが撮影のため津波研究家の山下文男さんと一緒に三陸を訪れたのは4年前の3月下旬。約28万人の死者・行方不明者を出したスマトラ沖地震の大津波(04年)、ジャワ島沖地震の津波(06年)の後のことで、津波の怖さを伝える映像を使いたかったが、「日本の津波の映像がなかった。それで山下さんに話を聞きながら、過去に大きな被害があった三陸沿岸を撮ろうと考えた」と振り返る。
歩いたのは、岩手県大船渡市の綾里、釜石市、宮城県宮古市の姉吉、気仙沼市など。いずれも、これまでの津波で大きな被害を受けた地域で、今回の東北大震災でも大津波が押し寄せた場所だ。
その際、山下さんは「津波てんでんこ」という言葉を教えてくれた。「『てんでんこ』は、てんで(ばらばら)にという意味。投げやりな意味ではなく、一人ひとり自分の身を守ることに徹しようということです。誰かを助けようとしたり、一緒に逃げようと思うと共倒れになるからです」。山下さんは大船渡市の出身で、明治の大津波(1896年)で、一族9人が亡くなり、自身も昭和の三陸地震津波(1933年)、チリ地震津波(60年)、そして今回の津波を生き抜いた。
今回も大きな被害があった三陸地方だが、タカギさんは取材した当時、「津波の教訓が風化している地域がある」と感じた。「若い人に聞いてみても、『てんでんこ』の意味を知らない。過去に被害が大きかった地区でも、避難率がそんなに高くない所があった」からだ。
一方で、綾里や姉吉には、明治の三陸大津波の到達地点より高いところに家を建てて暮らしている集落があった。タカギさんによると、到達地点は、波自体の高さではなく、海岸から内陸のどこまで海水が駆け上がったかを基準にしており、姉吉では「此処(ここ)より下に家を建てるな」と刻んだ石碑を建て、教訓を伝えてきた。それらの集落が今回、津波の襲撃を免れたと報道で知り、「三陸大津波を経験した世代の教訓が生きていた」(タカギさん)と実感した。
「遠くを目指すより、近くの高いところへ逃げる」ことを、一人でも多くの人に知ってほしいという。「昭和の大津波の時、普通ではとても登れないような険しいやぶを必死に登って助かった家族がいたと聞いた。津波から逃げるのに、海岸から遠くに離れようと思いがちだが、それでは間に合わない」と話す。自身も海岸に行った時には、今津波が来たらと考えて、高い場所を探すという。
50年、100年に1度の津波を、子々孫々まで警戒し続けることは難しい。タカギさんは、ビデオを監修した片田敏孝・群馬大教授の「津波警報が出て、避難したのに津波が来なかったということが何回あっても、『今回は、はずれて良かったね』と思えることが津波防災の本質だ」という言葉が印象に残っている。津波防災の必要性を伝えるために、「今回は報道だけでなく、一般の人が撮影した映像も動画共有サイトなどにたくさんある。これまでと決定的に違う点だ。映像を残しておけば、時間がたっても伝わる」とタカギさんは話した。
「忘れかけたころにドカーンとまたやられて大災害になる。そういう歴史を繰り返しているのが津波なんです」。ビデオの中の山下さんの言葉が重く響く。
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