Jul 01, 2011

心配しなくても、レーザー脱毛

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 雲仙・普賢岳大火砕流から20年の節目に合わせ、10年ぶりの開催となった5日の「雲仙集会」(日本新聞労連、日本民放労連など主催)。会場の島原市の島原文化会館には、全国各地の報道関係者や市民約160人が集い、大火砕流の教訓を霧島・新燃岳噴火災害や東日本大震災の報道に生かそうと確認した。会場には当時の記憶がほとんどない20代の報道関係者もいて、講演やシンポジウムでの発言内容を熱心にメモする姿が目立った。
 ◇被災者思いやる取材姿勢−−同僚2人が犠牲、日テレ・谷原氏が講演
 大火砕流で同僚2人が犠牲になった日本テレビの谷原和憲・映像取材部長(49)が、2人を悼み「雲仙火砕流から学んだこと 1991から何が変わったか?」と題して基調講演した。谷原さんは当時、NNN取材本部記者として現地で取材、6・3大火砕流の後も災害気象専門記者として活躍し、霧島・新燃岳噴火災害(宮崎県)や東日本大震災の取材も指揮している。
 講演では、当時、報道当事者が気象庁などの研究者に対し「警告を出す科学者は慎重なだけ」という偏見や「危険性は分かっていても自分だけは大丈夫」という思い込みを持っていた点を挙げ、自然環境や現地状況への知識が不足していたことを反省点に挙げた。
 また、普賢岳の教訓が生かされた例として、00年の三宅島噴火の際、火山噴火予知連絡会の「噴火予測は難しいと考えられる」という公式発表を報道したことが、結果的に全島避難に結び付いたことを挙げ、「分からない」ことをニュースにすることも意味があると述べた。
 一方、大火砕流直前、日テレのカメラクルーが避難勧告区域の無人の民家から電源を盗用したことについて、改めて謝罪。その上で、避難所を取材する際にも、自宅への入室と同様に被災者を思いやるなど日常の取材姿勢の大切さを説き「被災者のために報道する」という考えを「文化」にしようと訴えた。
 最後に「報道は前に出るのが仕事だから、『撤退』『引く』という判断はしにくい。普段やらないことはいざという時にはできない」と述べ、「臆病者と呼ばれる勇気を持て」と教訓を再確認した。【梅田啓祐】
 ■シンポジウム
 ◆1部「定点回帰」
 ◇普賢岳災害の教え検証「1行、1枚の写真が人生を左右」
 シンポジウム1部のテーマは「雲仙の定点回帰」。災害当時、毎日新聞現地デスクだった加藤信夫・スポーツニッポン新聞社常務取締役をコーディネーターに、谷原さんら3人のパネリストが雲仙・普賢岳災害が今に教えることを検証した。
 「被災者生活再建支援法は、阪神大震災を受けて制定されたとされるが、運動の起点は普賢岳災害にあった−−」。加藤さんは普賢岳災害の「起点」から切り出した。
 長崎新聞の吉田利一・営業局次長は当時、写真部員。大火砕流直前まで、多くの報道陣らが犠牲になった撮影ポイント「定点」にいた。「(火砕流の危険性の認識は)全くなかった。前方は谷で『僕たちの所には灰しか来ないだろう』と思っていた」と振り返った。
 元島原農業高教諭で消防団員やタクシー運転手だった教え子6人を亡くした満行豊人さん(73)は、一部マスコミが避難勧告地域の無人宅で電気や電話を使った事件で、消防団が「自分たちが地域を守らなければ」と同地域に入ったことに触れ「盗電がなかったら子供たちが亡くなるはずはなかった。悔しくて今も子供たちの顔が浮かぶ」と訴えた。一方「島原のことを無駄にしないように集会をしていることはうれしい。子供たちに報告したい」と話した。
 また、吉田さんは「大火砕流以降、住民への取材がメディアスクラム状態になり、被災者の立場を考えるようになった。その後の海難事故で家族の撮影では、シャッター音を響かせないようにした」と教訓を語り、若い記者に「1行の活字、1枚の写真が人の人生を左右する」とメッセージを贈った。満行さんも「島原から東北へ向かうボランティアバスのニュースは、お返しをしなければという住民の気持ちをどっとあふれさせた。報道は住民の生活を豊かにするのが役目」と話した。
 最後に谷原さんは「災害で警戒区域ができたのは島原と福島だけ。その後の生活へ細かい支援がされるように、皆さんの力を借りて火山被災地からのメッセージを学び、被災地を支えたい」と話した。【蒲原明佳】
 ◆2部「新燃・東北へ」
 ◇災害取材、“教訓”どう生かされた
 ◇報道の価値「地域の安全どれだけ寄与するか」
 シンポジウム2部は「雲仙から新燃・東北へ」。20年前の惨事で得た“教訓”が近年の自然災害取材でどう生かされたか−−。いまだ解決されていない課題について、3人のパネリストが議論した。
 パネリストは、地域防災が専門で放送大学岩手学習センター所長の斎藤徳美さん(66)▽新燃岳噴火を取材した宮崎日日新聞報道部の斉藤僚一さん(38)▽東日本大震災で宮城県南三陸町を取材した河北新報報道部の大泉大介さん(39)。テレビ長崎の赤木健一郎デスクをコーディネーターに話し合った。
 斎藤さんは98年の「岩手山噴火予測」がされたときの経験から、災害時は「地域の安全を守るときに、研究者、行政、住民と報道機関の4者は互いの信頼感がなくてはならない」とした上で「いい絵(写真、映像)を撮ることが報道の価値ではない。地域の安全にどれだけ寄与するかが、報道の役割」と強調。今回の大震災に関しても「テレビやラジオはリアルタイムで情報が得られたが、これだけ広範囲になってくると、テレビは見られなかったし、ラジオは全員が持っていなかった。新聞は1日遅れであっても安心感を与える情報として役割があると再確認した」と話した。
 また、災害現場取材に関して、斉藤記者は新燃岳噴火災害の最前線に入った若い記者から「車に噴石が当たって大変」という連絡を受け「本当に怖いと思ったら引き返してこい」としか指示しなかったことを振り返り、実際の指示の出し方の難しさについて語った。
 一方、東日本大震災発生時に「本物が来た」と思ったという大泉記者。約30年周期で三陸沖を震源とする地震が来ることは予想していたといい、05年ごろから紙面で「備える」という企画記事を展開してきたという。その「想定してきた」自分でさえ「報道人として職業魂が全開になる」と述べ「実際に災害に直面すると、冷静な判断ができないということを自覚しつつやらないと危ない」と警鐘を鳴らした。【野呂賢治】

6月7日朝刊

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